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カナダでスノーボードとコーチング

カナダコーチング学から学んだこと、現場でのコーチング経験を通して感じたこと、そしてスノーボードあれこれについて発信していきます。

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プロフィール

高石周(Shu)

Author:高石周(Shu)
カナダ(ウィスラー)でスノーボードコーチとして活動しています。
主にコーチングとスノーボードについて自分が学び感じたこと、またウィスラーの現地情報を発信していきます。
子供の育成に関連した情報もアップしていきます。


[スポンサー/所属]
 
・VOLKL スノーボード
・FLUX バインディング
・CROSS5 スノーボードブーツ
・WEST BEACH スノーボードウェア
・Whistler Gymnastics
・Whistler Youth Soccer Club


[資格]

* スノーボード
- CSCP Basic Coach
- CSCP Comp Intro Coach
- CSCP Comp Dev Coach
- CASI Level 2 Instructor
- Canada~Snowboard Judges Level 1 Officials

* スポーツ心理
- NSCA Exercise and Sports Psychology

* ジムナスティック(体操)
- NCCP Gymnastics Foundations Part 2 Theory
- NCCP Gymnastics Foundations Part 3 Artistic
- NCCP Gymnastics Foundation Part 3 Trampoline

* NCCP(ナショナルコーチングサーティフィケイトプログラム)
- Part A
- Part B
- Make Ethical Decisions

* サッカー
- NCCP Soccer Community Coach Children
- NCCP Soccer Community Coach Youth

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2011.09
20
随分前のNHKで、江崎玲於奈さんが中学生を相手に講義されていた番組を見ました。
あまりに衝撃を受けたのでメモをとっておきました。
今回はそれをご紹介しましょう。


まずは社会に出るまでの子供の成長を年代別に3つに分け、その特徴を説明しています。
ご自身の子供の頃、思春期の頃、身近な子供たちを想像しながら読んでみて下さい。


1.Child-Hood(0-12歳)少年期

Heteronomy(他律)
他人から教えを受け、それに従う。
他律的生活を送る年代。

<私的補足>
まずは何でも吸収(学習)する世代ということでしょう。
知識も経験も無いに等しいわけですから当然ですね。


2.Teenager(13歳~19歳)ティーンエイジャー

他律に対して疑問を抱き、探求する意欲を持ち始める。
これまでの自分と、それを批判するもう一人の自分が出てきたことを意識し「自我」に目覚める。
自主的教育も伴って個性(人格)が育ち始める。
心身共に目覚しく変化し、成長のもっとも著しい年代。

<私的補足>
体が大きくなり、思考力も少しずつ付き始めます。
よって子供と大人の間にあり、その2つ(子供と大人)を見比べ、その違いに戸惑いながら疑問を持ち、自分はどんな大人になるべきなのかと強く自分を意識し始めると考えられます。
反抗期は自分が多くの中の一人ではなく、自分は自分のなりたい大人になるというを主張をしている状態と言えるでしょう。


3.Adult-Hood(20歳-)成人期

Autonomy(自立)
思考能力を備え、自分が規範を決めそれに従う。
自立的生活をするべき年代。

<私的補足>
学習期を終え、自分で考えることが社会にも求められ、これから経験を積む時期に入ります。
本来勉強とは社会で生きていく為に必要なことを学ぶことです。
先に出てきた2つの年代では準備としての学習を終えたに過ぎず、それらを状況に応じてどのように使いこなすのか全く分かりません。
つまり社会の必要に応じた勉強はこれからです。
まずは社会に出て「経験」をして、そこで「できない」経験をしたことが学びの欲求を引き出し、それをベースに自分オリジナルの人生を歩む為に必要となる本当の勉強を始めます。




人間の能力は「天性」と「育成」の2つで決まる。

● 天性(Nature)
  遺伝情報、即ち持って生まれた素質(タレント)を見出す

● 育成(Nurture)
  遺伝外情報の刺激を与えて、タレントを呼び起こし育て上げる

<私的補足>
誰でもどこかに才能(タレント)を持っています。
才能のあるところに興味があるかどうか、また過去に才能を感じた領域があったか、経験をしたかなども重要なポイントです。
そういう意味で保護者は子供に多くの経験のチャンス(育成)を与え、子どもが「楽しい」または「上手にできた」という瞬間をできるだけ多く覚えておきたいですね。


これを江崎さんは以下のようにも言っています。

● 教育が目指すものを一口に言えば、まずは持って生まれたタレントの発見継続的な育成
● 次にその特性を最大限に生かす社会での活躍のシナリオ創作


さらに社会で生きていくことにおいて以下のようにも言っています。

● 自分の将来は自分で決めるのが民主主義の原則。
● 人生とは所詮自分が主役を演じるドラマである。




「わが人生、何を成すべきか?」

深い、そして究極の課題ですね。
30歳代にならないとこういうことは意識するようにならない気がしますが。
江崎さんはこのように言っています。

● 天性(タレント)を見出し、それをベースに幅を広げていくこと。
● 幅の広い経験、学、知識を身に付ける。

お恥ずかしながら私は今40才代になって非常に強くこの概念を痛感しています。




「天性」を「育成」する教育は2つある。

一つは「受ける教育」、もう一つは「自らやる教育」

1.受身型教育 - 真似る、聴く、話す、読む

学校の教室では先生から与えられる知識を記憶し、理解し、適切な判断力、選択力や義務感、責任感、などを会得する受身型教育が主流となる。
これにより子供の社会活動に必要な分別力が身に付く。

2.自主的教育 - 疑う、考える、探求する、実行する

我が人生何を成すべきか?
「What should I do with my life?」を自問自答する中で、何を最も得意とするか、「What am I best at?」
持ち前のタレントの糸口を見出し、それを手繰って(たぐって)自己により子供の将来の活躍に決定的影響を及ぼす独創力や創造力が培われる。


最後に江崎さんよりもう一言。

「チャンスはその為にちゃんと準備した人にのみ訪れる」



よく登場しますが、今回も脳科学者の茂木健一郎さんの言葉を借りて「教育とは?環境とは?才能を見出すとは?」を考えてみましょう。


「ばか」についての連続ツイート

ばか(1)集英社の助川さんと、小説というものはばかでないと書けないという話になった。それは実際そうなのであって、夏目漱石は恐ろしく賢い人だったが、賢かったから小説が書けたのではない。ばかな部分で文豪になったのである。

ばか(2)漱石がばかでなければ、友人にゆずったはずの女にまた情を戻して、あげくの果てに親から勘当される『それから』のような小説が書けるはずがない。当代きっての俊才、夏目漱石の中に、はあはあ息をはずませているばかな動物が一匹いた。その動物が、歴史に残る小説を書かせた。

ばか(3)漱石の孫の房之介さんとお話した時に、漱石はだんだんばかになっていく人生でした、と合点した。ばかになる人生。降りていく人生。創造者というものは、そうでなければならぬ。おおいにばかになるがよい。

ばか(4)小林秀雄が「ぼくはばかだから反省などしない」と言ったのも立派なばか道である。利巧なやつは、文脈に適応しようとする。だから正解を見つけるのはうまいが、それで終わり。ばかは文脈を壊す。そもそも、評価関数や最適化なんてことはないのだ。

ばか(5)アインシュタインもばかだった。教授のことを尊敬せずに、「~さん」と呼んでいたものだから、大学に職をもらえなかった。級友たちはみな大学に残った。家庭教師をして、特許局で町の発明家の話を聞いた。適応などしなかった。ばかだった。だから、相対性理論を作れた。

ばか(6)テストの点数がいいということは、その文脈に適応しているということだから、お利巧さんではあるのだろうけど、天才的なことを成し遂げるばかではない。ばかであるのは一つの才能だが、それは、文脈適応の秀才と関係ない。ばか求む。しかし、ばかは試験で選抜できぬ。

ばか(7)友人などでも、こいつは賢い、というところで感心するが、そいつを愛するのはばかな点においてである。こいつ、こんな向こう見ずなことやりやがって、転びやがって、ばかだな、と思った瞬間に生涯の友になっている。だから、ばかなことを一緒にやって意気投合しなくちゃ。

ばか(8)利巧な秀才は何重にも予防線を張って何歳で天下りして、などと計算する。ばかは無防備である。何も考えていない。ただ、衝動がある。世間の評価をどう受けるか、など気にしない。ただ突き進む。自分でも、何で突き進んでいるのか、わからねえ。しょうがない。ばかだから。

ばか(9)諸君、おおいにばかになりたまえ。ばかだけが日本を救う。ばかだけが世界を変える。学校では、ばかの成り方など教えてくれない。ましてや大学ではね。ばかになるのは、人生のお祭り。即興で口をぱくぱく動かす。テストの紙なんて飛行機にして、おおいにばかになりましょう。



「欠点」についての連続ツイート

欠点(1)自分の欠点のすぐそばに、長所がある。だから、人間を減点法で考えてはいけない。欠点に目を向けるのではなく、長所にこそ注目し、のばすべきである。これは、多くの人に届けられるべき応援メッセージではないか。

欠点(2)そもそも脳の資源は有限である。ある一つの能力を伸ばすと、それが資源を使ってしまう。だからこそ、異常な長所は、必ず残念な欠点と抱き合わせになる。スピノザの神のように、すべてに無限な人など存在しないのだ。

欠点(3)人と人が力を合わせるというチームワークにおいて、お互いの長所を組めばよい。そのためには、それぞれが長所を伸ばせばいい。それで始めて組体操が空に届く。欠点を補うのは簡単だから、とりあえずそれは放置していてかまわない。

欠点(4)欠点を持っているというコンプレックスが、その人の飛躍のきっかけになることがある。身長が低かったナポレオンしかり。人よりも劣っていることがあると思うと、それを超えた時の報酬系の活動が増す。そのことによって、強化学習のバネが金剛に。コンプレックスは資産なのだ。

欠点(5)欠点を持っている人は、他人に愛される。こいつはひとりで放っておくと困るから、助けてやろうと思うのだ。欠点は、いわば、他人の愛を導く空白である。何ごとにも完璧であろうとする秀才ほどつまらぬものはない。欠点を開けっぴろげでさらけ出す人間の大らかさを持とう。

欠点(6)欠点とうまく付き合うためには、メタ認知が不可欠である。自分の欠点をわかった上で、それをユーモアを持ってプレゼンテーションできること。そんな欠点はないと否認するのが最悪の選択である。「そうだね!」と認めてしまっていい。あなたの長所は他にきっとあるのだから。

欠点(7)多様化する世界の中で、人の価値を高めるのは「過剰」と「欠落」のコントラスト。過剰は、世の中に対するその人の「贈り物」の起点となる。欠落は、お互いに支え合う利他性の呼び水となる。欠落をメタ認知さえしていれば、あとは過剰を強靱にすることだけを考えればいい。

欠点(8)他人の欠点を前にした時、とるべき唯一の態度は、それを補おうとしたり、手助けをしたりすること。そのことによってあなた自身が伸びる。最悪なのは非難したり、修正したりすること。人のあり方についてのモノカルチャーは、他人も自分も貧しくする。その愚に陥りやすい日本。

欠点(9)動きをつくり出すのは、差異である。それぞれが過剰と欠落でデコボコ、メリハリがあるから、人と行き交うのが楽しい。優等生同士の付き合いはつまらないね。みんな落第でいいんだ。「みんな欠けてて、みんないい。」「みんな過剰で、みんないい」。うれしいね。




「キャリア・パス」についての連続ツイート

キャパ(1)ある人生の道筋(キャリア・パス)を設定すること自体は、大切なことである。たとえば、小学校の時から塾通いして、「有名」大学を目指す。そのようなキャリア・パス自体は、良いこともあるだろうし、否定すべきものではない。ある目的のために努力することは貴い。

キャパ(2)あるキャリア・パスに適応できるのは、文脈を引き受けて機能する脳の大切な働きである。眼窩前頭皮質を含む回路が、求められていることを察知し、それに合わせた行動を生み出す。そのようなことができるのが「優等生」である。

キャパ(3)自分自身が、あるいは自分の子どもが社会の中で認められたキャリア・パスに適応できる「優等生」になる。それはそれで良い。問題は、外れてしまった時のこと。すべてのシステムは、それに適応できる人だけでなく、適応できない人のことも考えて設計しなければ、意味がない。

キャパ(4)物理学者のアルベルト・アインシュタインは、ドイツのギムナジウムの教育を受けた。厳格な、典型的な詰め込み教育。アインシュタインはドロップ・アウトして、ヨーロッパ中を放浪した。独自の思想に基づく「相対性理論」建設への道筋が始まったのである。

キャパ(5)厳格なギムナジウム教育からドロップアウトしたアインシュタインが、人類の歴史を変える相対性理論をつくる。独創の天才を生み出すには、詰め込み教育のシステムをつくり、そこから逸脱する学生が出るのを待てばいい、という論も成り立つのである。

キャパ(6)どんなキャリア・パスでも、完全ということはない。理想とされるキャリア・パスに適応し、「優等生」として幸せに暮らすのも一つの人生。一方、ドロップ・アウトしたからといって、人生が終わるわけではない。逸脱する人のことも含めて、制度を設計しなければならない。

キャパ(7)日本の塾通い->進学校->有名大学->大企業というキャリア・パスは、すでに問題を噴出させているが、それ以前に、すべての制度は、そこから逸脱する自由を許容するし、また人生は制度よりも広いということを認識しておく必要がある。

キャパ(8)入試に落ちたら、どうするか。会社に入れなかったら、どうするか。その時の覚悟、工夫さえしておけば、人生は大丈夫である。システムから逸脱する時に、初めて真価が問われる。システムはどんなものでもどうせ横暴なのだから、そこへの適応を、マジメに考えない方が良い。

キャパ(9)ギムナジウムからドロップ・アウトしてヨーロッパ中を放浪したアインシュタインの理論は、世界を変えた。一方、当時のエリート教育に適応した秀才たちのことは、誰も知らない。システムへの埋没は、人を無個性にする。そのことは、世界のあらゆる文化、時代に変わらない。




「受験の罠」についての連続ツイート

じゅわ(1)受験についていろいろ言う人がいるが、その最大の特徴の一つはそれが「個人競技」だということだろう。一人ひとりが何点とるか、それがすべて。他の人と協力しあったり、長所を出し合い、弱点を補い合ったりといった協調する能力は、まったく評価されることがない。

じゅわ(2)受験で評価される能力が、人間の多彩な力のごく一部であること。その点を除いても、受験には、それが「個人技」だという罠がある。受験で成功体験を持つ者は、往々にして、自分の弱点を見つめ、それを他の人との個性の持ち合いで補うというすばらしい技を知らずに生きるのだ。

じゅわ(3)マイクロソフトはビル・ゲイツとポール・アレン、アップルはスティーヴ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック。グーグルは、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン。そして、ソニーは、井深大と盛田昭夫。二人が個性を持ち合って創業したからこそ、大発展する基礎ができた。

じゅわ(4)受験では、上位校ほど、オールラウンドな学力が問われる。しかし、協力を前提にした世界観の基では、一人はその「とんがり」をのばせばいい。加えて、他人との協力を受け入れる度量があればいい。そんな当たり前のことが、受験の個人競技に慣らされた人間はできぬ。

じゅわ(5)わが母校ながら、東大生に共通した欠点は、自分の至らぬ点を認められないことだろう。ぜんぶ自分がやろうと思っている時点で、現代社会に適応的ではない。かえって、自分のダメなところを知っている劣等生の方が、コラボレーションにすんなり入る。

じゅわ(6)受験のわなは、それだけではない。そもそも、受験の成績と、「才能」はまったく関係ない。才能とはすさまじいもので、小説家として成功する人が音楽家としてもうまくいくとは限らない。受験とは、才能がない場合でもだいじょうぶなように、保険を打つようなものである。

じゅわ(7)「キャッチ=22」は、ジョーゼフ・ヘラーが1961年に発表した小説。戦争の不条理から抜けだそうとしても、矛盾に陥って抜け出せない「罠」を描く。受験にも、同様の「キャッチ=22」がある。受験で成功する人ほど、現代の文明をつくり出している原理に不適応となる。

じゅわ(8)たとえば、東京大学の受験を通して培われる人格と、アップルやグーグルの創業のために必要な人格の間に齟齬があること。これが、日本の停滞の本質。受験を終えたら、「個人競技」のマインドセットをさっさと卒業して、コラボレーションの自由に飛び込まなければならぬ。

じゅわ(9)現実的には日本の受験文化はそう簡単には変わらないだろう。だとすれば、18でクリアしたら、全速力でunlearn(忘れ去る)すること。現代は、コラボしてナンボ。そんな明白な原理もわからなくさせている受験の愚は深いが、人間は愚行を簡単には改めない。



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